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2022/05/13

金閣寺(鹿苑寺)

5月13日
金曜日

金閣寺(鹿苑寺)

1397年5月13日
(応永4年4月16日)

金閣寺の上棟式。

鹿苑寺(ろくおんじ)は、
京都市北区にある
臨済宗相国寺派大本山相国寺の境外塔頭。

建物の内外に金箔を貼った
3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)、
舎利殿を含めた寺院全体は
金閣寺(きんかくじ)として知られる。

寺名は開基(創設者)である
足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。

山号は北山(ほくざん)。

寺紋は五七桐。

義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。

舎利殿は
室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、
1950年(昭和25年)に放火により焼失し、
1955年(昭和30年)に再建された。

1994年(平成6年)に
ユネスコの世界遺産(文化遺産)
「古都京都の文化財」の構成資産に登録される。

応永4年(1397年) 

室町幕府第3代将軍足利義満が
河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、
改築と新築によって一新した。

この義満の北山山荘は、
当時「北山殿」または「北山第」と呼ばれた。

邸宅とはいえ、その規模は御所に匹敵し、
政治中枢のすべてが集約された。

応永元年(1394
年)に義満は将軍職を子の義持に譲っていたが、
実権は手放さず、北山第にあって政務を執っていた。

応永6年(1399年)には
相国寺七重大塔が完成し、
同年にはいわゆる金閣寺(北山第)舎利殿の
初代建物が完成したと推定される。  

ただし、
遣明船の開始は応永8年(1401年)であり、
舎利殿や相国寺大塔の建設は
遣明船の利益によって財源がもたらされたわけではない。

応永10年(1403年)の
相国寺七重大塔(高さ約109メートル:日本史上で最も高い仏塔)の焼失を受け、
義満は当地に七重大塔(北山大塔。相国寺七重大塔と同程度の規模か)を建立した。

応永15年(1408年)に
義満が死亡すると、義持は北山第に住んでいた
異母弟義嗣をその生母春日局の屋敷に移し、
自らここに入ったが、
翌16年(1409年)には
北山第の一部を破却して三条坊門第に移った。

応永23年(1416年)1月
七重大塔が落雷で焼失すると、
義持はこの地に七重大塔を再建せず、
再び相国寺に七重大塔を再建するよう命じている。

当時は
義満の妻である北山院日野康子の御所となっていたが、
応永26年(1419年)11月に
足利義満が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈された。

そして、
応永27年(1420年)に
北山第は義満の遺言により禅寺とされ、
義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。  

その際、
夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)とした。

金閣寺(鹿苑寺)

2022/05/13

メイストームデー

5月13日
金曜日

メイストームデー(5月の嵐の日)

バレンタインデーから88日目、
「八十八夜の別れ霜」という言葉にちなみ、
別れ話を切り出すのに最適とされる日。

別れ話を切り出すのに最適って、
これは嫌な日やな😅

メイストームデー

2022/05/12

海上保安の日

5月12日
木曜日

海上保安の日

1948年(昭和23年)5月12日

海上保安庁が開庁したことを記念。

海上保安庁が1948年(昭和23年)に
「海上保安庁開庁記念日」として制定し、
2000年(平成12年)より
「海上保安の日」に改称した。

海上保安庁(かいじょうほあんちょう、
英: Japan Coast Guard、略称: JCG[3])は、
日本の行政機関のひとつ。

海上における
人命・財産の保護、法律違反の予防、
事件の捜査・鎮圧を任務としている。

国土交通省の
外局として設置される警察機関である。

日本語略称は
海保(かいほ)、海保庁(かいほちょう)。

海上保安の日