2022/06/21
夏至(げし)
6月21日
火曜日
夏至(げし)
二十四節気の一つ。
北海道と小笠原諸島以外の
日本の大部分では梅雨の最中。
北半球では
一年中で一番昼が長く夜が短い日である
(南半球では逆転する)。
『暦便覧』には
「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」
と記されている。
今日の
関西方面は
一日中雨で
日の長さを感じにくいかもね😅
2022/06/20
ペパーミントの日
6月20日
月曜日
ペパーミントの日
ハッカが特産品の
北海道北見市まちづくり研究会が
1987年(昭和62年)に制定。
「はっか(20日)」の語呂合せ。
6月は、
この月の北海道の爽やかさが
ハッカそのものであるとのことから。
2022/06/20
新田義貞の挙兵
6月20日
月曜日
新田義貞の挙兵
1333年6月20日
(元弘3年/正慶2年5月8日)
新田義貞が上野国で北条氏討伐の旗揚げ。
河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。
父は新田朝氏、母は不詳。
官位は正四位下、左近衛中将。
明治15年(1882年)8月7日贈正一位。
鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、
足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった
新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、
好敵手でもあった。
ただし、
鎌倉時代後期の新田家は
足利家に対して従属関係にあり、
延元の乱以前の義貞は尊氏の指揮下の
一部将であったとする研究もある。
また、
軍記物語『太平記』においては、
前半の主人公の一人とも言える存在である。
鎌倉幕府を攻撃して事実上滅亡に追い込み、
後醍醐天皇による
建武新政樹立の立役者の一人となった。
しかし、建武新政樹立後、
同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立し、
尊氏が建武政権に反旗を翻すと、
後醍醐天皇により事実上の
官軍総大将に任命されてこれに対抗した。
これにより各地で転戦したものの、
箱根や湊川での合戦で敗北し、
のちに後醍醐天皇の息子の
恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、
越前国を拠点として活動するが、
最期は越前藤島で戦死した。
東国の一御家人から始まり、
鎌倉幕府を滅ぼして中央へと進出し、
その功績から来る重圧に耐えながらも
南朝の総大将として忠節を尽くし続けた生涯だった。
死後、
江戸時代に義貞が着用していた兜が偶然見つかり、
福井藩主松平光通は
兜が発見された場所に新田塚を建てた。
明治時代、福井知藩事・松平茂昭は
新田義貞のために新田塚に祠を建て、
のち義貞を主祭神する藤島神社となり、
建武中興十五社の一つに列せられた。