2022/07/17
兵庫消防団第六分団 7月の定期訓練
7月17日
日曜日
兵庫消防団第六分団
7月の定期訓練
海岸保全施設巡視
(管内全域の防潮堤・防潮堤扉の確認)
自転車と消防積載車にて
浜山地区
和田岬地区の
防潮堤・防潮堤扉
各箇所の巡視を行いました。
2022/07/16
磐井の乱(いわいのらん)
7月16日
土曜日
磐井の乱
527年7月16日
(継体天皇21年6月3日)
近江毛野が
軍を率いて新羅に攻められた
任那の失地回復に向かう(磐井の乱の始まり)。
磐井の乱(いわいのらん)は、
527年(継体21年)に
朝鮮半島南部へ出兵しようとした
近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を
筑紫君磐井
(『日本書紀』は筑紫国造だったとする)がはばみ、
翌528年(継体22年)11月、
物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、
または王権間の戦争。
磐井の乱に関する文献史料は、
ほぼ『日本書紀』に限られているが、
『筑後国風土記』逸文(「釈日本紀」巻13所引)や
『古事記』(継体天皇段)、
『国造本紀』(「先代旧事本紀」巻10)にも
簡潔な記録が残っている。
なお、
『筑後国風土記』には
「官軍が急に攻めてきた」となっており、
また『古事記』には
「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」
とだけしか書かれていないなど、
反乱を思わせる記述がないため、
『日本書紀』の記述はかなり潤色されているとして
その全てを史実と見るのを疑問視する研究者もいる。
まあ
分かりやすく言えば
古代の筑紫国(福岡県)は
妊那(朝鮮半島日本領)を復興させようとする
中央(ヤマト政権)に逆らって
新羅(朝鮮)と手を組んで邪魔をした言う事ですな。
2022/07/16
名神高速道路
7月16日
土曜日
名神高速道路
1963年(昭和38年)7月16日
名神高速道路の栗東 - 尼崎が開通。
日本初の都市間高速道路(高速自動車国道)。
新幹線開業の前年にあたる
1963年(昭和38年)7月16日の
名神高速道路 栗東インターチェンジ(IC) - 尼崎インターチェンジ(IC)間(71・7km)の開通は
日本の高速道路開通の歴史の中で
最初となる高速道路の誕生であった。
自動車が道路を
時速100kmで疾走する状況は
当時の世間を沸かせる一大ニュースとなり
前日の7月15日には
名神開通記念として
額面10円の切手が発行された。
1965年(昭和40年)7月1日には
小牧IC - 一宮IC開通によって
名神高速道路の小牧IC - 西宮ICの全線が完成し
これまで名古屋 - 阪神地域間の移動に
自動車で5~6時間を要した時間が
2時間程で結ばれることになった。
開通当初は
高速道路自体が観光名所となっていたため
路肩で弁当を食べ疾走する車を眺めたり
記念撮影したりするなど
今となっては長閑なエピソードも残されている。
また
当時の自動車の性能が
高速連続走行に耐えられなかったことや
ドライバーが高速走行に不慣れだったため
オーバーヒートや燃料切れで
故障する車が続出していた。