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2021/12/15

三本の矢

12月15日
水曜日

三本の矢

1557年12月15日
(弘治3年11月25日)

毛利元就が息子へ
14箇条の遺訓(三子教訓状)を記す。
(のちの「三矢の訓え」のモデルとされた)

毛利元就は
室町時代末期から戦国時代の
安芸(広島県西部)の国人領主・戦国大名で
中国地方全土をほぼ支配した。

毛利隆元(毛利家の家督を相続)
・吉川元春(吉川家の家督を相続)
・小早川隆景(小早川家の家督を相続)の
三人の息子たちに
三本の矢が一つになるように
三人で力を合わせて毛利家を繁栄させるようにとの教え。

毛利家は
関ヶ原の戦いで西軍に付き
厳封(領土を縮小)されるも
現在も続いている。

三本の矢

2021/12/15

クニマス

12月15日
水曜日

クニマス

2010年(平成22年)12月15日

絶滅したとされていた魚
「クニマス」が再発見される。

山梨県の西湖にて生存個体が発見された。

きっかけは、
京都大学の中坊徹次が
タレント・イラストレーターで
東京海洋大学客員准教授のさかなクンに
クニマスの
イラスト執筆を依頼したことであった。

さかなクンは
イラストの参考のために
日本全国から近縁種の
「ヒメマス」を取り寄せた。

このとき、
西湖から届いたものの中に
クニマスに似た特徴をもつ個体があったため、
さかなクンは中坊に
「クニマスではないか」として
この個体を見せ、
中坊の研究グループは
解剖や遺伝子解析を行なった。

その結果、
西湖の個体は
クニマスであることが判明したとし、
根拠となる学術論文の出版を待たずして、
12月15日に
マスコミを通して公式に発表された。

1935年、
田沢湖から西湖に送られた
クニマスの受精卵10万個を
孵化後放流したものが、
繁殖を繰り返して現在に至ったと考えられている。

クニマス

2021/12/14

忠臣蔵の日/討ち入りの日

12月14日
火曜日

討ち入りの日/
忠臣蔵討ち入りの日/
四十七士討ち入りの日/
忠臣蔵の日

元禄15年12月14日
(1703年1月30日)に、
赤穂浪士(四十七士)が吉良上野介(吉良義央)邸討ち入り(赤穂事件)を行った。

これにちなんで、
赤穂市では赤穂義士祭、
吉良邸跡である両国・本所松坂町公園と
赤穂浪士の墓所泉岳寺において義士祭が行われる。

本所松坂町公園では、
名君であったとされる吉良をしのんで
吉良祭も同時に行われる。

今の暦やと
1月30日ですからね
雪もしんしんと
降り積もる訳ですよ❗

実は
大石内蔵助は討ち入りを
最後まで反対したが
家来に押し切られて
仕方なく
討ち入りに及んだとの説もありますね。

忠臣蔵の日/討ち入りの日