ブログ

2022/11/02

土佐開成社

11月2日
水曜日

土佐開成社

1870年11月2日
(明治3年10月9日)

土佐の一介の
貧しい地下浪人だった
岩崎弥太郎が

長崎の武器商人グラバー氏や
土佐藩の後藤象二郎の後ろ盾で
豪商にのし上がり

大阪にて
土佐開成社を設立。

現在の
三菱財閥の起源となる。

土佐開成社

2022/11/02

自転車屋の生き物歳時記 植物編 オシロイバナ

11月2日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記
植物編

オシロイバナ

昨日の夜のウォーキングで
植え込みに
オシロイバナが咲いているのを見かけた。


子供の頃は
近所にたくさん咲いていたのを思い出す。
花を千切って笛にしたり
種を割って白い粉を出したりしたな。

オシロイバナ
(白粉花、白粧花; 学名: Mirabilis jalapa)は、
オシロイバナ科の多年草または一年草である。

南アメリカ原産で
江戸時代始めごろに渡来。

花が美しいため観賞用に栽培されるが、
広く野生化もしている。

茎はよく枝分かれして灌木状となるが
節がはっきりしていて、木質化はしない。

全体にみずみずしい緑。

花は赤、黄色、白や絞り模様
(同じ株で複数の色のものもある)などで、
内、白と黄の絞りは少ない。

花は夕方開き、芳香がある。

このため和名としては
ユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれるが、
この名はアカバナ科のものにも使われているので
注意を要する。

英語ではFour o'clock、
中国語では洗澡花(風呂に入る時間から)、
煮飯花(夕飯の時間から)などと呼ばれる。

夜間に開き花筒が長いので
口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ
吸蜜は困難である。

日本のオシロイバナでは
主にスズメガが吸蜜し、送粉に関わっている。

オシロイバナは網状脈である。

花弁はなく、
花弁に見えるのはがくで基部は緑色でふくらんでいる。

また
花の根元にある緑色のがくのようなものは総苞である。

花が咲き終わった後、
がくは基部を残して脱落し果実(種子を1つ含む)が
がくの基部に包まれたまま熟して
全体が黒い種子のようになる。

種子には粉状の胚乳があり、
これからオシロイバナの名がついた。

根はいも状になり、
暖地では冬に地上部が枯れても
この地下部が生き残り次の年に根から芽を出す。

オシロイバナ属には
観賞用に栽培されるもののほか、
アンデス山脈周辺でいもを食用にするもの
(maukaまたはchago、M. extensa)もある。

根を利尿、関節炎の生薬として処方される。

また、葉は切り傷、たむしの治療に用いられる。

自転車屋の生き物歳時記  植物編  オシロイバナ

2022/11/01

北野大茶湯

11月1日
火曜日

北野大茶湯

1587年11月1日
(天正15年10月1日)

北野天満宮で
豊臣秀吉主催の茶会北野大茶湯が行われる。

北野大茶会(きたのだいさのえ)は
天正15年10月1日(1587年11月1日)に
京都北野天満宮境内において
関白太政大臣・豊臣秀吉が主催した
大規模な茶会のこと。

当初
10日間に渡り茶会を催す予定だったが
翌2日には一転して茶会は中止され、
その後も再開されぬまま終了となった。

これは
1日の夕方に
肥後国人一揆が発生したという知らせが入って
秀吉が不快を覚えたからだという説が
当時から囁かれており、
今日でも通説とされている。

しかし、
このほかにも
「秀吉の自己顕示欲が1日で満足した」
とする見方や、
「単なる専制君主特有の気まぐれである」
とする見方、
「秀吉が数百人も茶を点てるのに疲れてしまった」
「当初は10日間の予定だったが、
開催直前になって1日だけに変更された」
という説もあり真相は定かではない。

中村修也はこれらの説を検討した上で、
「北野大茶湯は秀吉に対する
京都人の感情を知る試金石であり、

秀吉の予想より京都の人々が集まらず、
予定通り続けてしまうと
企画の失敗が衆目に晒されてしまうため、
先手を打ってあいまいに終了させた」
と論じている。

北野大茶湯