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2022/05/20

週末立ち飲み 木下酒店

5月20日
金曜日

週末立ち飲み

木下酒店

スーパードライ小瓶
黒糖焼酎れんと水割5杯

鶏唐揚げ
冷奴
イカの燻製

週末立ち飲み  木下酒店

2022/05/20

味の素

5月20日
金曜日

味の素

1909年(明治42年)5月20日

うま味調味料
「味の素」発売。

1908年(明治41年)

東京帝国大学教授の池田菊苗が
昆布のうま味成分は
グルタミン酸ナトリウムであることを発見、
創業者の二代目鈴木三郎助が工業化に成功した。

開発当初は「味精」という名称であり、
中華圏では、現在も「味精」と呼ばれている。

「味の素」を商標登録した際には、
石油系材料の表記を巡って争われた。

登録後は「味の素」は、
日本ではうま味調味料の代名詞とされるほど普及した。

「味の素」の主な原材料は
L-グルタミン酸ナトリウム。

グルタミン酸ナトリウム(グルタミン酸ソーダ)は
グルタミン酸のナトリウム塩のことで、
この物質のL体が調味料として使用されている。

現在では
うま味調味料(現在「アミノ酸等」と商品には表示)
と呼ばれる。

製品には
鰹節、シイタケのうま味成分である
5'-リボヌクレオタイドナトリウム
(呈味性ヌクレオチドのイノシン酸ナトリウムと
グアニル酸ナトリウムなど)を2.5%配合している。

一般向けの「味の素」は
L-グルタミン酸ナトリウムを97.5%配合しているが、
業務用の「味の素S」は
一般向けと処方が異なり、
L-グルタミン酸ナトリウム99%、
5'-リボヌクレオタイドナトリウムを1%配合している。

食用グルタミン酸ナトリウム生産の
先駆けである味の素社は当初小麦などの
グルテンを加水分解することによって生産していた。

しかし、コストが非常に高くつくため、
石油由来成分(アクリロニトリルなど)による
合成など様々な手法が試みられた。

しかし
協和醱酵工業(現・協和キリン)により
グルタミン酸生産菌が発見され、
これに廃糖蜜(サトウキビもしくは
トウモロコシやキャッサバから砂糖を搾り取った残滓)
あるいは米などをエネルギー源として与え
発酵させてグルタミン酸を得る手法が
安全性、費用面において優れていることから、
現在では
このグルタミン酸生産菌による
発酵法が主流となっている。

発酵過程で
ビオチンを阻害するなどの、
グルタミン酸生産菌のグルタミン酸生産を
活性化する添加剤や、
窒素源(硫酸アンモニウムなど)、
発泡を調整する薬剤(消泡剤)が加えられる。

味の素

2022/05/19

阿弖流為(アテルイ)

5月19日
木曜日

阿弖流為(アテルイ)

802年5月19日
(延暦21年4月15日)

蝦夷の頭領・アテルイが
征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏。

大墓公阿弖流為 / 大墓公阿弖利為
(読み方不明、? - 延暦21年8月13日
〈ユリウス暦802年9月13日、
先発グレゴリオ暦802年9月17日〉は、

日本の奈良時代末期から
平安時代初期の古代東北の人物。

続日本紀では
「阿弖流爲(あてるい)」、
日本紀略では「大墓公阿弖利爲
(おおはかのきみあてりい)」。

8世紀末から9世紀初頭に
陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した
蝦夷(えみし)の族長とされる。

史実にはじめて名前がみえるのは、
古代日本の律令国家(朝廷)による
延暦8年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて、
紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中である。

その後
延暦20年の征夷が終結した翌年
胆沢城造営中の坂上田村麻呂の下に
盤具公母禮(いわとものきみもれ)とともに降伏し、
田村麻呂へ並び従い平安京へ入京 、
公卿会議で
田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出たことに対して
公卿達が反対したため
河内国□山で母禮とともに斬られた。

アテルイと生死を分けて戦った
アテルイの事を一番分かっている
坂上田村麻呂が
アテルイは都に従い東北地方を治めるだろうと睨んで
アテルイの処刑に反対したのに

公家たちは野獣を野に放つのかと猛反対
結局
アテルイは処刑されてしまったが
坂上田村麻呂の判断の方が正しかったと思います。

アテルイは
東北地方の英雄として人気が高く
たびたび
ドラマや映画
歌舞伎や宝塚歌劇などで上演されています。

阿弖流為(アテルイ)