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2022/06/17

神戸海軍操練所

6月17日
金曜日

神戸海軍操練所

1864年6月17日
(元治元年5月14日)

江戸幕府が神戸海軍操練所を開設。

神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)

江戸時代の元治元年(1864年)5月に、
江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により
幕府が神戸に設置した
海軍士官養成機関、海軍工廠である。

現在の神戸市中央区新港町周辺にあった。

京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑がある。

攘夷論の高揚と共に
摂海(大阪湾)の防備が重要視され、
文久3年(1863年)に幕府は
兵庫や西宮に砲台の築造を決定。

その指導を任された勝海舟は、
同年4月(1863年6月)に
14代将軍徳川家茂の大阪湾巡視に随行し、
生田川河口(神戸村内)に上陸。

家茂から直々に、
この場所に海軍の操練局開設の許可を得た。

神戸海軍操練所

2022/06/16

弥助

6月16日
木曜日

弥助

織田信長は
宣教師が連れて来た
黒人奴隷に

弥助と言う名前を付けて
着物を着せて刀を持たせ
家臣として可愛がった。

弥助も
奴隷の身分であった自分を
家臣に取り立ててくれた
信長に感謝した‼️

日本人は
黒人を差別したりはしない‼️

日本人は
反日の人間を区別するだけだ‼️

弥助

2022/06/16

和菓子の日

6月16日
木曜日

和菓子の日

全国和菓子協会が
1979年(昭和54年)に制定。

嘉祥元年(848年)
疫病退散を祈念するため元号を
「嘉祥」と改元し
6月16日に16
の数にちなんだ菓子・餅を神前に供えたという
「嘉祥菓子」の故事に由来。

平安中期の承和年間、
国内に疫病が蔓延した。

仁明天皇は年号を嘉祥と改め、
その元年(848年)の6月16日に、
16個の菓子や餅を神前に供えて、
疾病よけと健康招福を祈ったとされる。

これを起源として、
6月16
日に厄除け・招福を願って菓子を食う
「嘉祥菓子」の習俗が、
さまざまに形を変えながら、
平安期から中世・近世まで存続した。

江戸幕府においては、
6月16日を嘉祥の日とし、
お目見え以上の身分のものには
大広間で和菓子が与えられた。

和菓子の日