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2022/07/05

穴子の日

7月5日
火曜日

穴子の日

穴子のトップシェアを誇る、
大阪に本社を置く
株式会社グリーンフーズが制定。

日付は穴子の旬が夏であり、
ビタミンAやカルシウムが豊富で
夏バテに効果的であることと、
7と5で穴子の「なご」の
語呂合わせになることから。

穴子の日

2022/07/04

湊川の戦い

7月4日
月曜日

湊川の戦い

1336年7月4日
(建武3年5月25日)

湊川の戦いが行われる。

湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、
南北朝時代の
延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、
九州から東上して来た
足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、
これを迎え撃った後醍醐天皇方の
新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。

湊川合戦における
正成、義貞の敗北の何よりの原因は、
兵力の多寡にあるとされる。

『太平記』においては、
正成、義貞共に、
「敵は勢いに乗り大軍を率いているが、
一方我々の軍勢は疲弊して人数も少なくなっている」
と語っている。

また、
義貞と正成の間に戦術面における
連携の不備があったとも言われる。

決戦の地であった
当時の神戸市付近は
現在よりも海面が高かったこともあり、
今以上に海が六甲山地に迫っていて平地が狭く、
大軍の行動には適さなかった。

そのため、
宮方は水軍を全く持っていなかったことが
決定的な敗因となった。

また、
山本隆志は『深堀文書』五月二十五日書状案において、
この戦いの中で敗走する新田方30余人を生け捕りにした「芥河河原村輩」と呼ばれた人々に注目している。

これらは武士ではない村人であり、
このような人々が新田方に挑んで
何十人も生け捕りにするなど
無視できぬ戦力であったことは、
戦国時代だけではなくこの南北朝時代にも言える、
と山本は述べている。

湊川の戦い

2022/07/04

今村聖奈騎手

7月4日
月曜日

今村聖奈騎手

競馬界にニューヒロインが誕生した。

ルーキーの
今村聖奈騎手(18)=栗東・寺島厩舎=が

3日、CBC賞・G3(小倉・芝1200メートル)で
騎乗したテイエムスパーダを逃げ切りVに導き、

デビュー年では
史上4人目となる重賞初騎乗Vを飾った。

JRA所属の
女性騎手としては初めての快挙で、
48キロの軽いハンデを味方に、
衝撃的な1分5秒8の
日本レコードをマークするおまけ付き。

18歳のシンデレラストーリーから目が離せなくなった。

夢に見た歓喜の瞬間が訪れた。

先頭で迎えた293メートルの最後の直線。

今村の操るテイエムスパーダが、
大きな拍手に包まれながら力強く、
そして優雅に先頭でゴールを駆け抜けた。

「逃げ切る気持ち良さを
しみじみと感じながら人馬一体になれた」。

1200メートルのJRAレコード、
1分5秒8の時間をたっぷりと楽しみ、
とびきりの笑顔が咲いた。

今村聖奈騎手