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2022/07/18

海の日

7月18日
月曜日

海の日

海の日は、
1995年(平成7年)に制定されて
1996年(平成8年)から施行された
日本の国民の祝日の一つである。

制定当初は7月20日であったが、
2003年(平成15年)に改正された
祝日法のハッピーマンデー制度により、
7月の第3月曜日となった。

国民の祝日に関する法律
(祝日法、昭和26年7月20日
法律第178号)第2条は、
「海の恩恵に感謝するとともに、
海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。

国土交通省は
「世界の国々の中で
『海の日』を国民の祝日としている国は
唯一日本だけ」としている。

祝日化される前は
海の記念日であった。

海の記念日は、
1876年(明治9年)に
明治天皇が東北地方に巡幸した際、
従来の軍艦ではなく
灯台視察船「明治丸」で航海し、
7月20日に横浜港に入港して
横浜御用邸伊勢山離宮へ還幸した史実から、
1941年(昭和16年)に
逓信大臣の村田省蔵が提唱して制定された。

明治丸はその後、
東京商船学校の練習船として使用され、
現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。

海が無い
内陸県の奈良県は、
7月第3月曜日を
「奈良県山の日・川の日」と条例で定めている。

確かに
海なし県民にとっては
海の日
と言われてもって事はあるんやろうね。

海の日

2022/07/18

百済滅亡(くだらめつぼう)

7月18日
月曜日
海の日

百済滅亡(くだらめつぼう)

660年7月18日
(顕慶5年6月6日)

百済が
唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)により
滅ぼされる。

百済(くだら、旧字体:百濟、
4世紀前半 - 660年)は、
古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。

百済の歴史は
その首都の移動によって、
大きく漢城時代(475年まで)、
熊津時代(475~538年)、
泗沘時代(538から)に分類される。

漢城期には
現在の京畿道を中心としていたが、
高句麗の攻撃によって首都漢城が陥落し、
一時的に滅亡した後は、
現在の忠清南道にあった
熊津(現:公州)へと遷って再興した。

熊津時代の百済は弱体化していたが、
武寧王が高句麗を撃退したことにより
次第に国力を回復し、
南方の伽耶(加羅)地方へと勢力を拡張した。

538年には
新たな首都として泗沘を建設し、
一層伽耶地方を含む周囲への拡大を図った。

百済が存続していた時代には、
朝鮮半島北部から満州地方にかけての地域に
高句麗、朝鮮半島南東部に新羅、
半島南部には多数の伽耶諸国が存在していた。

この時代は
朝鮮史の枠組みにおいて三国時代と呼ばれている。

古代朝鮮半島の
我が国の
真の友好国
百済は
滅びてしまいましたが

百済の
皇室・貴族・僧侶・職人など
優秀な人々の血は
渡来人・帰化人として
日本人の中に今も生き続けています❗

百済滅亡(くだらめつぼう)

2022/07/17

兵庫消防団第六分団 7月の定期訓練

7月17日
日曜日

兵庫消防団第六分団
7月の定期訓練

海岸保全施設巡視
(管内全域の防潮堤・防潮堤扉の確認)

自転車と消防積載車にて

浜山地区
和田岬地区の
防潮堤・防潮堤扉
各箇所の巡視を行いました。

兵庫消防団第六分団  7月の定期訓練