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2022/08/19

自転車屋の生き物歳時記 植物編 オシロイバナ

8月19日
金曜日

自転車屋の生き物歳時記
植物編

オシロイバナ

昔は
ウチの近所に
オシロイバナがたくさん咲いていた。

種を割って白い粉を出したり
花を千切って笛にして吹いたり
オシロイバナでは
よく遊んだな~。

オシロイバナ
(白粉花、白粧花、学名:Mirabilis jalapa)とは
オシロイバナ科の多年草または一年草である。

南アメリカ原産で
江戸時代始めごろに渡来。

花が美しいため観賞用に栽培されるが、
広く野生化もしている。

茎はよく枝分かれして
灌木状となるが節がはっきりしていて、
木質化はしない。

全体にみずみずしい緑。

花は赤、黄色、白や絞り模様
(同じ株で複数の色のものもある)などで、
内、白と黄の絞りは少ない。

花は夕方開き、芳香がある。

このため和名としては
ユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれるが、
この名はアカバナ科のものにも使われているので
注意を要する。

英語ではFour o'clock、
中国語では洗澡花(風呂に入る時間から)、
煮飯花(夕飯の時間から)などと呼ばれる。

夜間に開き花筒が長いので
口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ
吸蜜は困難である。

日本のオシロイバナでは
主にスズメガが吸蜜し送粉に関わっている。

オシロイバナは網状脈である。

花弁はなく、
花弁に見えるのはがくで
基部は緑色でふくらんでいる。

また花の根元にある
緑色のがくのようなものは総苞である。

花が咲き終わった後、
がくは基部を残して脱落し果実
(種子を1つ含む)ががくの基部に包まれたまま
熟して全体が黒い種子のようになる。

種子には粉状の胚乳があり、
これからオシロイバナの名がついた。

根はいも状になり、
暖地では冬に地上部が枯れても
この地下部が生き残り次の年に根から芽を出す。

根や種子に
窒素化合物のトリゴネリンを含み、
誤食すると嘔吐、腹痛、激しい下痢を起こす。

オシロイバナ属には
観賞用に栽培されるもののほか、
アンデス山脈周辺でいもを食用にするもの
(maukaまたはchago、M. extensa)もある。

根を利尿、関節炎の生薬として処方される。

また、
葉は切り傷、たむしの治療に用いられる。

自転車屋の生き物歳時記  植物編  オシロイバナ

2022/08/19

越前一向一揆

8月19日
金曜日

越前一向一揆

1574年8月19日
(天正2年8月3日)

越前と近江の国境、
木目峠を守護していた樋口直房が
一揆勢力と独断で講和し退陣。

越前国全域が一揆衆の勢力下になる。

越前一向一揆(えちぜんいっこういっき)は、天正年間に越前国に起きた一向一揆のこと。

天正2年(1574年)に越前国で発生した
富田長繁対石山本願寺と結託して一向一揆となった
土一揆との戦いと、
天正3年(1575年)8月から9月にかけて行なわれた織田信長対一向一揆の戦いがある。

この結果、
信長は越前を失陥することになった、
しかし、
当時織田氏は武田氏、長島一向一揆、
大坂の石山本願寺など
他の敵対勢力との抗争に忙殺されており、
すぐに失地回復のための
討伐軍を派兵することは不可能であった。

ところが、
七里頼周や新しい越前の領主として
石山本願寺から派遣された下間頼照ら坊官の政治は、
越前の豪族や寺社勢力、
領民の期待に沿うような善政ではなかった。

下間らは自らの私利私欲を満たすため、
織田氏との臨戦体制下であるという大義名分のもと、
桂田長俊以上の重税や賦役を彼らに課した。

このため、
下間らの統治に不満を抱く層による
一揆内一揆が発生、一揆勢は内部から崩壊し始めた。

越前一向一揆

2022/08/18

カボチャ

8月18日
木曜日

カボチャ

1541年8月18日
(天文10年7月27日)

肥後国にポルトガル人が漂着。

領主の大友宗麟にカボチャの種が贈られる。

カボチャは
カンボジアから来たから
カボチャと聞いたが
ポルトガルから来たのか!!

カボチャ