2023/03/29
八百屋お七の日
3月29日
火曜日
八百屋お七の日
天和3年3月29日
(1683年4月25日)
恋人を思うあまりに
放火した
八百屋の娘お七が
火刑に処されたことに由来。
お七の恋人は
『好色五人女』では小野川吉三郎だが
『天和笑委集』では生田庄之介となっている。
江戸中期の講釈師・馬場文耕が著した
『近世江都著聞集』という書物には
山田左兵衛という名で登場する。
しかも文耕は
火付改加役・中山勘解由の
日記を見る機会があり
そこから知った話として
お七事件の真相を次のように記している。
吉三郎という人物は
吉祥寺の門番の倅である。
世間では
この吉三郎が
お七の恋人だったように思っているが
それは大きな間違いだ。
お七の相手は
円乗寺の山田左兵衛という者で
吉祥寺の吉三郎は
お七と左兵衛の間をとりもっていたのである。
しかし
吉三郎は大酒のみの博打うちで
親から勘当されるほどのならず者。
恋文を運ぶ報酬として
お七から博打の元手をせしめていた。
それのみか
「円乗寺の左兵衛に会うためには
火事にして家を焼くほかないぞ」と
お七をそそのかすにいたった。
お七に火事を起こさせ
そのどさくさに自分は
火事場泥棒を働こうという目論見だったが
ちょうど見廻りにきた
中山勘解由につかまってしまったというのだ。
このように
お七事件は謎に包まれている。
確かなのは
放火をしたために
火あぶりの刑に処せられ
西鶴の『好色五人女』のモデルとなった
お七という少女がいた
という事実だけなのだ。
2023/03/28
フリー付きユニットハブ交換
3月28日
火曜日
フリー付きユニットハブ交換
フリー(フリーホイールギア)が
前回転でも空回りしてしまうので
フリーが壊れています。
ギアを交換しますが
ハブと一体化したユニットハブなので
この場合はハブごと交換になります。
これは中古自転車の
ユニットハブ交換なので
修理代金はありません。
2023/03/28
三ツ矢サイダーの日
3月28日
火曜日
三ツ矢サイダーの日
「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合わせ。
アサヒ飲料が制定。
三ツ矢サイダーは、
兵庫県川辺郡多田村字平野
(現在の川西市平野 多田銀山の一部)で
平野鉱泉が発見されたことにはじまる。
かつてこの地では
摂津三湯に数えられた名湯「平野の湯」と呼ばれる
炭酸泉の湯治場があったが、
江戸時代末期には廃れていた。
明治時代に入り、
外国人接待用の炭酸水を調達するために
宮内省の命を受けて
全国の水源を調査していた
イギリス人理学者ウィリアム・ガランによって
平野鉱泉が再発見され、
炭酸水の御料品工が建設された。
1884年に
三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げを受け、
三菱商会が「平野水」として炭酸水を販売。
1885年には明治屋が採取権を得て、
源満仲にまつわる当地の言い伝えから
「一本矢礦泉」に改名して販売。
1889年には
「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」の名称で
販売された。
しかし販売不振が続いたため、
1905年には
三ツ矢平野礦泉から販売された。
なお平野水は夏目漱石も愛飲しており
『行人』・『思い出す事など』にも登場、
また大正天皇の皇太子時代の
1897年には御料品としても採用された。
1907年に
帝国鉱泉株式会社
(旧 三ツ矢平野鉱泉合資会社)が設立され、
従来の平野水を元に、
砂糖を煮詰めた茶褐色のカラメルや
イギリスから輸入したサイダーフレーバを加えた
「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を発売し、
1921年に
「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称されて販売された。
1921年に
加富登麦酒が帝国鉱泉株式会社と
日本製壜を吸収合併し
日本麦酒鑛泉株式会社となり、
1933年に
大日本麦酒株式会社と併合されたが、
「三ツ矢シャンペンサイダー」は
日本麦酒鑛泉のユニオンビールと共に
引き続き製造販売された。
太平洋戦争では
サイダーは軍需品だったため製造が続けられていたが、
末期には工場を軍需工場として貸し出されたり、
戦災で設備の一部を焼失するなどしていたため、
終戦の翌年の
1946年7月まで製造が中断されていた時期があった。
1946年7月から製造が再開されたが、
政府による砂糖の配給が行われていたため、
使用が解禁されたばかりの
人工甘味料ズルチンに切り替えて製造再開
(のちにズルチンの安全性に疑問が出たため、
自主的に使用中止)。
1951年には
砂糖の配給が終了したことから、
砂糖を使った
「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」も発売。
なお「シャンパン」の名称使用について、
フランスのシャンパン企業から
全国清涼飲料連合会に抗議が来たため、
1968年に「三ツ矢サイダー」に改名した。