ブログ

2022/09/03

千姫

9月3日
土曜日

千姫

1603年9月3日
(慶長8年7月28日)

徳川家康の孫で
7歳の千姫が
11歳の豊臣秀頼に輿入れ。

千姫(せんひめ)は
安土桃山時代から江戸時代の女性。

豊臣秀頼・本多忠刻の正室。

父は徳川秀忠、母は継室の江。号は天樹院。

慶長2年(1597年)4月11日
秀忠と江の長女として
山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。

慶長8年(1603年)に
7歳で秀頼と結婚し
乳母の刑部卿局とともに大坂城に入る。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では
祖父・徳川家康の命により
落城する大坂城から救出される。

その後
秀頼と側室の間の娘・天秀尼が
処刑されそうになった時に
千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける。

元和2年(1616年)
桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。

この時
津和野藩主・坂崎直盛が
輿入れの行列を襲って
千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し
直盛は家臣により殺害され
それを直盛が自害したように見せかけたが
坂崎家は改易処分となった(千姫事件)。

同年9月26日に桑名城に着いた。

この時に
10万石の化粧料を与えられたといわれる。

翌年の元和3年(1617年)
本多家が播磨姫路に移封になった時には
8月28日に桑名を発って
姫路城に移って播磨姫君と呼ばれるようになる。

その後
姫路城にて子供をもうけるが
夫・姑・長男・母と次々と不幸に見舞われ
長女を連れて
江戸城に入り出家して天樹院と号する。

徳川家康の孫娘と言う立場上
波乱万丈な人生ですが

69歳まで生きたので
江戸時代としては
長生きな女性ですな~

千姫

2022/09/02

焼肉ホルモン おぎゅう 石焼ビビンバ

9月2日
金曜日

立ち飲み終わり
〆の炭水化物

8月の初めに
吉野家でうな重を食べよう思ったら
改装工事で行けなかったので
リベンジに行ったら
9月14日まで改装工事😞

仕方ないので
焼肉ホルモンおぎゅうで
ホルモン丼を食べようと思ったら
それはランチメニューですと言われ

夜のご飯物は
ビビンバとクッパしかなかった😅

石焼ビビンバ
スープ付き
ハイボール

飲み食いに於いても
思うように行かないのは
人生と同じなんやな😅

焼肉ホルモン  おぎゅう  石焼ビビンバ

2022/09/02

週末立ち飲み 大野酒店

9月2日
金曜日

週末立ち飲み

大野酒店

スーパードライ小瓶
角ハイボール3杯

玉子豆腐
シーチキン

週末立ち飲み  大野酒店