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2023/06/11

KOBEおーるエンジョイ倶楽部 神戸市立森林植物園トレッキング

6月11日
日曜日

KOBEおーるエンジョイ倶楽部
6月のクラブ活動

神戸市立森林植物園トレッキング

雨には降られましたが
色んな種類のアジサイと
長谷池では
スイレンが
キレイに咲いていました。

約9800歩数歩きました。

KOBEおーるエンジョイ倶楽部  神戸市立森林植物園トレッキング

2023/06/10

自転車屋の生き物歳時記 植物編 トリカブト

6月10日
土曜日

自転車屋の生き物歳時記
植物編

トリカブト

こちらは
昨日話したヨモギに
とてもよく似ていますが
危険な有毒植物です!

ヨモギと間違えないように
気を付けましょう!

トリカブト
(鳥兜・草鳥頭、学名:Aconitum)は、
キンポウゲ科トリカブト属の総称である。

有毒植物の一種として知られる。

スミレと同じ「菫」と漢字で表記することもある。

ドクウツギやドクゼリと並んで
日本三大有毒植物の一つとされ、
トリカブトの仲間は日本には約30種が自生している。

沢筋などの比較的湿気の多い場所を好む。

トリカブトの名の由来は、
花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子に似ているからとも、

鶏の鶏冠(とさか)に似ているからとも言われる。

英名の "monkshood" は
「僧侶のフード(かぶりもの)」の意味。

多くは多年草である。

草丈は80 -120センチメートルほどある。

葉は深く3裂から5裂して、
夏から秋に紫色のほか、白、黄色、
ピンク色などの花を咲かせる。

茎葉を傷つけても、
特別な臭いや汁液が出るわけではない。

塊根を乾燥させたものは漢方薬や毒として用いられ、
烏頭(うず)または附子(生薬名は「ぶし」、
毒に使うときは「ぶす」)と呼ばれる。

本来、
「附子」は球根の周りに付いている「子ども」の部分。


中央部の「親」の部分は
「烏頭(うず)」、
子球のないものを「天雄(てんゆう)」と呼んでいたが、現在は附子以外のことばはほとんど用いられていない。

俗に不美人のことを「ブス」というが、
これはトリカブトの中毒で神経に障害が起き、
顔の表情がおかしくなったのを指すという説もある。

全草、
特に根に致死性の高い猛毒を持つことで知られる。

主な毒成分は
ジテルペン系アルカロイドのアコニチンで、
他にメサコニチン、アコニン、ヒパコニチン、
低毒性成分のアチシンのほか、
ソンゴリンなどを全草、特に根に含む。

採集時期および地域によって、
毒の強さが異なることがある。

誤食すると
嘔吐、呼吸困難、臓器不全、痙攣などによる
中毒症状を起こし、
心室細動ないし心停止で死に至ることもある。

毒は即効性があり、
摂取量によっては経口後数十秒で死亡することもある。

半数致死量は0.2gから1g。

経皮吸収および経粘膜吸収されるため、
口に含んだり、素手で触っただけでも
中毒に至ることがある。

蜜や花粉にも毒性があるため、
養蜂家はトリカブトが自生している地域では
蜂蜜を採集しないか、
開花期を避けるようにしている。

また、
天然蜂蜜による中毒例も報告されている。

特異的療法および解毒剤はないが、
各地の医療機関で中毒の治療研究が行われている。

芽吹きの頃には
ニリンソウ、ゲンノショウコなどと
外見が似ているため間違えやすく、
誤食による中毒事故がしばしば報道されている。

株によって葉の切れ込み具合が異なる。

古来、矢毒として塗布するなどの方法で、
狩猟・武器目的で
北東アジア・シベリア文化圏を中心に利用されてきた。

北アメリカのエスキモーも
トリカブトの毒矢を使用したことが報告されている。

アイヌでは
トリカブトとその根を「スルク」と呼び、
アマッポに使用した。

強毒を持つものの、
漢方やアーユルヴェーダなどの伝統医療で
薬として使用される。

漢方では
トリカブト属の塊根を附子(ぶし)と称して薬用にする。

本来は、
塊根の子根(しこん)を附子と称するほか、
「親」の部分は烏頭(うず)、
また、子根の付かない単体の塊根を
天雄(てんゆう)と称し、それぞれ運用法が違う。

強心作用や鎮痛作用があるほか、
牛車腎気丸及び桂枝加朮附湯では皮膚温上昇作用、
末梢血管拡張作用により血液循環の改善に有効である。

しかし、
毒性が強いため、
附子をそのまま生薬として用いることはほとんどなく、
修治と呼ばれる弱毒処理が行われる。

自転車屋の生き物歳時記 植物編 トリカブト

2023/06/10

森永ミルクキャラメル

6月10日
土曜日

森永ミルクキャラメル

1913年(大正2年)6月10日

森永ミルクキャラメルが発売。

キャラメルの販売自体は
森永製菓の前身の
森永西洋菓子製造所が
1899年(明治32年)に
創業した頃から行われてきたが

現在の商品名になったのは
1913年(大正2年)6月10日からである。

発売当初
高温多湿の日本の気候に合わず
キャラメルが溶けてしまうという性質から
森永太一郎が改良を重ね
1914年(大正3年)
携帯用のミルクキャラメルが発売される。

初期は
ブリキ缶1斤に1粒5厘の
ばら売りで販売されていたが
容器代などにコストがかかり
高級菓子となってしまったため

その後
現在まで続く
黄色いデザインの紙容器となった。

大正末期から昭和20年代にかけては
帯封をしていたが
その後廃止された。

1935年(昭和10年)から
第二次世界大戦終戦までは帯に
「祈武運長久」の文字が入れられていたり
またブリキ缶による
慰問用のミルクキャラメルが発売されたりと
戦時色の濃いものもあった。

森永製菓の全商品中
現在も唯一
昔のエンゼルマークを使用している。

なお
箱入り商品は箱内部の舟と呼ばれる
キャラメルを乗せている部分の裏側に
「懐かしの風景」というコーナーが印刷され
大正・昭和時代の世相や
懐かしの遊びを
イラストとともに紹介している。

キャラメルと言えば
森永ミルクキャラメルですな!

森永ミルクキャラメル