ブログ

2023/02/24

ラーメンまこと屋長田南店 チャーハン&唐揚げ

2月24日
金曜日

週末立ち飲み終わり
〆の炭水化物

ラーメンまこと屋長田南店

還暦を過ぎて
まこと屋のラーメンの脂が
キツクなってしまっているので

チャーハン
唐揚げ3つ

デカ!レモン酎ハイ

ラーメンまこと屋長田南店  チャーハン&唐揚げ

2023/02/24

週末立ち飲み 大畠商店

2月24日
金曜日

週末立ち飲み

大畠商店

生ビール
芋焼酎お湯割2杯

牛肉するめ
揚げ出し豆腐
ちりめん山椒

週末立ち飲み  大畠商店

2023/02/24

自転車屋の生き物歳時記 ザザムシ

2月24日
金曜日

自転車屋の生き物歳時記

ザザムシ

嘘つき政府や
嘘つきマスゴミが
昆虫食の推進において
コオロギを食べる事を推奨している風潮があるが

騙されてはいけない!
コオロギは
雑食性で腐った物を食べているので
発ガン性がある。

そもそも
安全な昆虫なら
イナゴ・ハチ・ザザムシ・カミキリムシの幼虫
などのように
古来から先人たちが食べて来ているはず!

食べて来なかったと言う事は
危険だと考えるのが正しいと私は思います。

ザザムシについて

ざざむし(ざざ虫)、ザザムシとは、
長野県伊那市など天竜川上流域
(岡谷市川岸地区から駒ヶ根市の間に限定される)で、
清流に住むカワゲラ、トビケラ、ヘビトンボといった
昆虫の水生の幼虫(川虫)を
食用とする(昆虫食)時の総称。

主に佃煮や揚げ物などにして食する。

元々は
天竜川産の食用の水生昆虫の呼称であるが、
食用とする同種の水生昆虫の呼称として
用いられる場合もある。

「ざーざー」した所にいる虫、
あるいは浅瀬(ざざ)[8]にいる虫というのが
語源と言われている。

ほかに、
福島県でもかつては
「ザームシ」「ザザムシ」と呼び
食用にする習慣があったとされる。

ザザムシと称される水生昆虫は、
トビケラ、カワゲラ、ヘビトンボなどの幼虫である。

ただ
天竜川でも環境の変化により
ヒゲナガカワトビケラが主になっている。

また、
ざざむしの佃煮として市販されているものも、
クロカワムシとも呼ばれる
ヒゲナガカワトビケラの幼虫が主である。

ヒゲナガカワトビケラの幼虫は
水中のプランクトンやデトリタスを
巣の入り口に張った網で捕らえて食べるため、
こうした餌がダムに蓄積された水の中で増えたことが、
この種組成の入れ替わりの原因と考えられている。

年代と諏訪湖からの距離により
捕獲されるざざむしの構成は変わり、
諏訪湖に近い天竜川上流部では耐汚濁性の高い
シマトビケラ類や
ウルマーシマトビケラが生息しているが、
伊那付近では
ヒゲナガカワトビケラが優占種となる。

1930年代の主体は
ヒゲナガカワトビケラ幼虫であった。

なお、
太平洋戦争中・戦後の水質汚濁により
カワゲラが多く捕獲されたため
材料として使用していたとの伝承があるが、
村上ほか(2009)[5]の報告では否定されている。

これは、
「カワゲラが食物連鎖上位に位置する生物であるため、
下層のヒゲナガカワトビケラなどよりも
多い生息数にはならない」との考えによる物である。

漁期は冬で、
12月から2月までの3か月に設定されている。

ざざむしを取ることを、
地元では「ざざ虫踏み」と呼ぶ。

天竜川上流漁業協同組合では
入漁料を払って「虫踏み許可証」の取得が必要となる。

漁業として取る場合には、
胸まである胴長をはき、足の裏にはかんじきを付けて
川の中に入り、四つ手という、
十字に組んだ竹に網をつけた漁具を使って
漁獲するのが伝統となっている。

四つ手を川下側の水中に据え、
鍬で上流側の石を裏返し、
かんじきで踏み動かしてざざむしを水中に流し、
網の中に捕集する。

藻などのごみも網に入るので、
網の付いた選別器に入れて、
ざざむしだけが下に落ちるようにして分離する。

個人的な漁では、
石の裏にいるざざむしを
直接ピンセットで捕獲することも行われている。

道具を使わなければ漁協の許可証は不要である。

四手網には
様々な種類の水生生物が入ることになるが、
網目の大きさや選別作業により、
小さな川虫やゴミなど食用としない物は取り除かれる。

ざざむしは高級珍味とされている。

伊那市では、
佃煮に調理したもの(ざざむしの佃煮)が
名物郷土料理となっている。

ほかに、油で素揚げにし、
塩を振るなどして食べることも行われる。

長野県などでは
土産物として販売されている地域もある。

小エビのような香ばしさ、
味わいと表現されることもある。

ザザムシの研究者である牧田豊によると、
昭和末期までは長野県内各地で広く食されていた。

伊那市など上伊那地方では、
漁獲従事者は減ったものの21世紀も
漁業や食文化として存続しており、
加工食品として販売されているほか、
各家庭の味付けで調理もされる。

伊那市は明治以降に開発が進んだ街で、
はちのこ(蜂の子)を含めて
昆虫食を商品化するため川虫を買い取る事業者が
現れたことが寄与していると考えられる。

自転車屋の生き物歳時記  ザザムシ