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2023/03/16

自転車屋の生き物歳時記 ミナミヌマエビ

3月16日
木曜日

自転車屋の生き物歳時記

ミナミヌマエビ

琵琶湖で絶滅したと思われていた
ミナミヌマエビが
100年ぶりに発見されたと言うニュースを見た。

生態系が
復活して来ているのだとすれば喜ばしい事ですな。

ミナミヌマエビ
(南沼蝦、学名 Neocaridina denticulata)は、
十脚目ヌマエビ科に分類されるエビの一種。

産卵も淡水中で行い、
一生を淡水域で過ごす陸封型のヌマエビである。

日本(静岡県焼津市以西、琵琶湖以南)、
朝鮮半島、台湾、中国に分布する。

本種の自然分布域外を含む
日本各地に定着した
カワリヌマエビ属の外来エビは
別種であると考えられている。

体長はオスは20 mm、メスでも30 mm未満で、
ヤマトヌマエビよりもずっと小型である。

額角は長く、
鋸歯状の棘が上縁に8 - 20(通常13 - 15)個、
下縁に0 - 9(通常3 - 6)個あるが、
先端付近には棘がない。

5対の歩脚は短く、
このうち前の2対は先端に小さな鋏がある。

背中の真ん中には白っぽい太い線が尾まで走り、
線をはさむように「ハ」の字型の縞模様が並ぶ。

若い個体やオスは
全身が半透明で他のエビと区別しにくいが、
メスの成体の体色は変異が大きく、
茶色や緑黒色の個体もいる。

流れのゆるい川や池の、水草が多い所に生息する。

ダムなどの建設は
ヤマトヌマエビなどの分布域を狭めるが、
逆にミナミヌマエビにとっては生息に適した場所となる。

雑食性で、
生物の死骸や藻類、デトリタスなど何でも食べるが、
生きた小動物を襲うことはない。

歩脚の鋏で餌を小さくちぎり、
忙しく口に運ぶ動作を繰り返す。

小さな塊状の餌は顎脚と歩脚で抱きこみ、
大顎で齧って食べる。

繁殖期は春から夏で、
メスは冬の間に卵巣を肥大させ、
背中側が深緑色に色づく。

交尾を終えたメスは
1 mmほどの卵を38 - 130個ほど産卵するが、
これはヤマトヌマエビなどと比べて大粒・少数である。

卵は孵化するまでメスが腹肢にかかえこんで保護する。

卵は最初は深緑色をしているが、
やがて褐色になり、
幼生の姿が透けて見えるようになる。

ミナミヌマエビは卵の中で幼生期を過ごし、
体長2 mmほどの稚エビで孵化する。

孵化直後の稚エビは尾扇が未発達で、
体色は半透明の白色をしている。

稚エビは海へ降りることなく淡水中で成長する
(この点は海で成長して川に遡上する
両側回遊型のヤマトヌマエビと異なる)。

寿命は約1年で、
メスは1回-数回の産卵をした後に死んでしまう。

「ブツエビ」「タエビ」などと呼ばれ、
スジエビなどと共に釣りの活き餌として利用される。

他方でアクアリウムでの
観賞用やタンクメイトとしても利用されるようになった。

2000年頃から
本種の自然分布域外を含む日本各地において
カワリヌマエビ属のエビが収集されるようになった。

2003年には
兵庫県夢前川水系で中国固有の
ヒルミミズ類の1種であるエビヤドリミミズ Holtodrilus truncatus が付着した
カワリヌマエビ属のエビが発見され、
釣り餌用に
中国から輸入された淡水エビが
川に逃げ出したことが示唆された。

当初はこれらの外来エビが
Neocaridina denticulataの亜種とみなされたため、
日本で採集されたカワリヌマエビ属が
2つのクレードから構成されることに着目し、
うち関東以北に分布しない1つを日本固有亜種「Neocaridona denticulata denticulata」として
定義するべく研究が進められたが、
その後2つのクレードに属するハプロタイプが
それぞれ朝鮮半島・台湾・中国において発見され、
日本の在来個体群を固有亜種として
定義することはできなかった。

このことから、
本種の自然分布域外を含む
日本各地に定着した
カワリヌマエビ属の外来エビは
別種であると考えられている。

自転車屋の生き物歳時記  ミナミヌマエビ

2023/03/16

福沢諭吉の脱亜論

3月16日
月曜日

福沢諭吉の脱亜論

1885年(明治18年)3月16日

『時事新報』の社説として
福沢諭吉の脱亜論が掲載される。

『脱亜論』(だつあろん)は、
福澤諭吉が執筆したと考えられている評論。

初出掲載された
1885年(明治18年)3月16日の新聞
『時事新報』紙上では無署名の社説である。

1933年(昭和8年)に
石河幹明編『続福澤全集』第2巻(岩波書店)に
収録されたため、それ以来、
福澤諭吉が執筆したと考えられるようになった。

歴史学者の平山洋によれば、
1950年(昭和25年)以前に
「脱亜論」に言及した文献は発見されておらず、
発見されている最初の文献は
翌1951年(昭和26年)11月に
歴史家の遠山茂樹が発表した
「日清戦争と福沢諭吉」
(福沢研究会編『福沢研究』第6号)である。

「脱亜論」が一般に有名になったのは
さらに遅れて1960年代後半である。

第1段落  

まず、
執筆者は交通手段の発達による西洋文明の伝播を
「文明は猶麻疹の流行の如し」と表現する。

それに対し、
これを防ぐのではなく
「其蔓延を助け、國民をして早く其気風に浴せしむる」
ことこそが重要であると唱える。

その点において日本は文明化を受け入れ、
「獨り日本の舊套を脱したるのみならず、
亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し」、
アジア的価値観から抜け出した、
つまり脱亜を果たした唯一の国だと評する。

第2段落

「不幸なるは近隣に國あり」として、
支那(清)と朝鮮(李氏朝鮮)を挙げ、
両者が近代化を拒否して
儒教など旧態依然とした体制にのみ
汲々とする点を指摘し
「今の文明東漸の風潮に際し、
迚も其獨立を維持するの道ある可らず」と論じる。

そして、
甲申政変を念頭に置きつつ両國に志士が出て
明治維新のように政治體制を變革できればよいが、
そうでなければ両国は
「今より數年を出でずして亡國と為り」、
西洋列強諸国に分割されてしまうだろう、と推測する。

その上で、
このままでは西洋人は
清・朝鮮両国と日本を同一視してしまうだろう、
間接的ではあるが外交に
支障が少なからず出ている事は
「我日本國の一大不幸」であると危惧する。

そして、
社説の結論部分において、
東アジアの悪友である清国と朝鮮国とは、
隣国という理由で特別な関係を持つのではなく
欧米諸国と同じような付き合いかたにして、
日本は
独自に近代化を進めて行くことが望ましいと結んでいる。

「我れは心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり」とは「心(感情)」という
個人的な感情を表した表現であって、
「国家関係として日本と朝鮮とは縁を切って国交断絶すべき」というような主張ではない。

福沢諭吉の脱亜論

2023/03/16

国立公園指定記念日

3月16日
木曜日

国立公園指定記念日

1934年(昭和9年)3月16日

内務省が、
瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)
・霧島(現在の霧島屋久)の3か所を

国立公園に指定し、
日本初の国立公園が誕生したことに由来。

神戸も六甲、須磨など
瀬戸内海国立公園に含まれていますよ!

国立公園指定記念日