2023/10/26
兵庫消防団第六分団 御崎児童館のママさんへの救急救命講習
10月26日
木曜日
兵庫消防団第六分団
御崎児童館の
ママさんたちに対する
救急救命講習
30分ほどの短い講習でしたが
心臓マッサージやAEDの他
人工呼吸や誤嚥の処置など
幼児や小学生への救急救命のご指導が
しっかりと出来たと思います。
2023/10/26
柿の日
10月26日
木曜日
柿の日
1895年(明治28年)10月26日に
正岡子規が
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
の句を詠んだことに由来。
全国果樹研究連合会カキ部会が
2005年(平成17年)に制定。
柿も出回っていて
季節的にも
ぴったりですね!
2023/10/25
「どうする家康」徳川家康家臣団列伝 阿茶局(星光院)
10月25日
水曜日
「どうする家康」
徳川家康家臣団列伝
阿茶局
(雲光院)
(松本若菜)
雲光院(うんこういん、天文23年2月13日
(1554年3月16日)-寛永14年1月22日(1637年2月16日)
戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。
徳川家康の側室。
飯田氏。
名は須和。
号は阿茶局、雲光院、民部卿、一位局、一位尼。
実子として神尾守世、神尾守繁、
養子として神尾元勝、菊姫がいる。
父は飯田直政(久右衛門)。
父は甲斐武田家の家臣であった。
今川家の家臣で主家没落後に
一条信龍に属した神尾久宗(孫兵衛)に嫁いだ
(『江東区史』では、孫兵衛忠重)。
久宗との間に二男(神尾守世、神尾守繁)をもうける。
天正5年(1577年)7月に久宗は亡くなる。
その後、
天正7年(1579年)に家康に召された。
戦場においても幾度となく家康に供奉し、
小牧・長久手の戦いの陣中で一度懐妊するも流産した。
天正17年(1589年)に
亡くなった西郷局の替わりに
徳川秀忠と松平忠吉を養育しており、
長男の神尾守世も秀忠に近侍した。
才知に長け、
奥向きの諸事一切を家康より任されており、
慶長16年(1611年)に
徳川義直が疱瘡を患った際に、
家康がその症状が軽いことを伝える自筆書状の宛先には、実母のお亀の方以外に阿茶局の名もある。
また
慶長19年(1614年)
大坂冬の陣では、
常高院や大蔵卿局と会見して和議の成立に尽力した。
家康の死後に江戸に移り、
竹橋に屋敷と300石の化粧料が与えられた
(後に神田鎌倉町に移転)。
雲光院と号したが、
剃髪はせず、秀忠の没後に正式に剃髪したともされる。
元和6年(1620年)
徳川和子入内の際に母親代わりの守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を授けられ、
一位局・一位尼と称されるようになった。
寛永7年(1630年)
秀忠・家光上洛時に供奉する。
寛永14年(1637年)1月22日、死去。
83歳。
雲光院(東京都江東区三好)に葬られた。
法号は
雲光院殿従一位尼公松誉周栄大姉
(『江東区史』では、
雲光院殿一位尼公正誉周栄大姉)。