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2023/05/17

自転車屋の生き物歳時記 オオスズメバチ

5月17日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記

オオスズメバチ

お店の戸を開けていると
オオスズメバチが入って来た。

刺激してはいけないので
じっとしていると
部屋の中を
隅々まで一通り見渡してから出ていった。

意味のある行動に思えたので
巣作りをする場所を探しに来た偵察隊員かな!?

オオスズメバチ
(大雀蜂、学名:Vespa mandarinia)は、
ハチ目スズメバチ科スズメバチ亜科
スズメバチ属昆虫の一種である。

オオスズメバチは、
日本全国および、インドから東南アジア、
東アジアにかけて広く分布する。

日本では北海道から九州に分布しており、
南限は屋久島、種子島近辺である。

2019年には
アメリカ合衆国ワシントン州でも確認された。

さらに2020年10月には
同州で同国初の営巣が確認された。

体長は女王バチが40 - 55 mm、
働きバチが27 - 40 mm、
雄バチが 27 - 45 mm。

頭部はオレンジ色、胸部は黒色、
腹部は黄色と黒色の縞模様で、羽は茶色。

雄バチは毒針(産卵管)を持たない。

木の根元などの土中、樹洞、人家の床下、
屋根裏などの閉鎖空間に巣を作る。

巣は、枯れ木などから集めた繊維を
唾液のタンパク質で和紙のように固めて
六角形の管を作り、
この管が多数集まった巣盤を数段連ねる。

日本に生息するハチ類の中のみならず、
全ての陸海空の有毒生物中トップクラスの毒を持ち、
かつ攻撃性も高い危険な種である。

オオスズメバチの日本亜種が持っている
毒の半数致死量 (LD50) は4.1mg/kgである[10]。

毒液中にはアルコールの一種からなる
警報フェロモンが含まれており、
巣の危機を仲間に伝える役割も果たしている。

また、本種は毒針のほか、
強力な大顎で噛み付くことで捕食対象を攻撃する。

飛行能力も高く、時速約40 kmで飛翔し、
狩りをする時は1日で約100 kmもの距離を
移動できる持久力も持つ。

夏季に幼虫に与えられる餌は幅広く、
カナブンなどの小、中型甲虫類、他種のハチ、カメムシ、セミなどの半翅目、ガやチョウなどの鱗翅目、
あるいはスズメガやカミキリムシの幼虫など
大型のイモムシが頻繁に捕食される。

これらの昆虫が減少する上、
大量の雄蜂と新女王蜂を養育しなければならない秋口には本種の攻撃性は特に高まり、
返り討ちに遭う危険もある
カマキリ等の大型肉食昆虫を襲ったり、
セイヨウミツバチやキイロスズメバチ、モンスズメバチ、ニホンミツバチなど、
巨大なコロニーを形成する社会性の蜂の巣を襲撃して
需要を満たすこともある。

襲撃は、スズメバチ類としては例外的に集団で行われる。

巣の働き蜂を全滅あるいは逃走させた後には、
殺した働き蜂も幼虫の餌とするが、
大量の死骸は処理しきる前に腐敗が始まり
餌に適さなくなるため、
主に占領した巣の中で時間をかけて
大量の生きた蛹や幼虫、
筋肉に富む成虫の胸部などを噛み砕き
ペースト状にした後、肉団子状にして運び出す。

より大型の巣を作り、
多数の働き蜂を擁するキイロスズメバチや
モンスズメバチの巣を襲撃する場合、
オオスズメバチ側にも
大きな被害が出る場合が多いものの、
巣の占領に成功すれば
その損害を補填できるだけの幼虫やさなぎ、
成虫の死骸を収穫できる。

しかし、
チャイロスズメバチの巣を襲撃する場合には、
チャイロスズメバチは他のスズメバチ類に比べて
強靭な外骨格をもつため、
大顎や毒針による攻撃が必ずしも有効に機能せず、
撃退されることもある。

また、クヌギなどの樹液に集まり樹液を採取する。

本種の天敵には
キイロスズメバチやクロスズメバチ類と同様、
ヒトのほかに哺乳類のクマや
野鳥のハチクマなどが挙げられる。

捕食関係ではないが、
夏場の樹液に集まる際に、
小型のカナブンやコクワガタなどの小型の甲虫類には
強気で対応する一方、
カブトムシや大型のクワガタムシなどの
大型の甲虫に対しては
強力な顎と針をもつ本種でも抵抗できず、
餌場を独占される場合が多い。

特にカブトムシが全盛となる7-8月頃に
この風景はよく見受けられるため、
この時期の本種はカブトムシなどが活動しない
昼間や朝方を狙って樹液に来ることが多くなる。

しかし、最近の研究で
カブトムシやクワガタムシの脚に噛み付いたりして
餌場から追い出したりする事がわかってきている。

また、大型甲虫以外にも本種を追い立てる昆虫に、
オオムラサキがある。

同種のオスの気性は激しく、
樹液を争う際に羽を広げて
本種を追い立てることが知られている。

本種に寄生する昆虫には、
腹部に寄生するネジレバネの一種が挙げられる。

自転車屋の生き物歳時記  オオスズメバチ

2023/05/17

サイン馬券の思い出

5月17日
水曜日

サイン馬券の思い出

サイン馬券と言う物は存在すると思う。

1995年(平成7年)5月21日
東京競馬場で
オークス(牝馬優駿)が行われたが

5月16日に
麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕された。

私は何となく
オークスは
麻原逮捕の日付
5ー16で決まるのではないかと思い
5-16の馬連(馬番連勝)を買った。

1着 5番ダンスパートナー
2着 16番ユウキビバーチェ

バッチリ当たっていた!

これ絶対にサイン馬券やん!と思った。

サイン馬券の思い出

2023/05/17

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝 本多忠真

5月17日
水曜日

「どうする家康」
徳川家康家臣団列伝

本多忠真
(波岡一喜)

本多 忠真(ほんだ ただざね)は、
戦国時代の三河国の武将。松平氏(徳川氏)の家臣。

本多忠勝の叔父。

本多忠豊の次男として生まれる。

兄に忠高がいる。

槍の名手として知られる。

天文14年(1545年)の三河国安祥城攻め
(第三次安祥合戦)において父・忠豊、
天文18年(1549年)の安祥城攻め
(第四次安祥合戦)で兄・忠高が討死すると、

兄嫁とその子・鍋之助(のちの本多忠勝)を
欠城(岡崎市欠町)に保護し、
読み書きから武士としての心得など、
甥の鍋之助を教育した。

永禄3年(1560年)、
桶狭間の戦いの前哨戦である鷲津砦での攻防戦で、
初陣の忠勝を補佐。

この際、
忠勝が織田方の武将・山崎多十郎に
討ち獲られそうになったときに、
槍を投げつけて窮地を救っている。

その後も
忠勝の補佐的な役割として、数々の合戦に従軍した。

特に永禄4年(1561年)に
尾張国石瀬で水野信元との合戦で戦功を立て、
永禄6年(1563年)に
三河一向一揆の際には家康方として岡崎城に赴いた。

元亀3年(1572年)12月、
三方ヶ原の戦いで、
退却の際に自ら殿(しんがり)を買って出て、
旗指物を左右に突き刺し、
追走する武田軍に斬り込み、討死した。

なお、
忠真の嫡男であった菊丸は
父の命で家康を援護しつつも
無事に浜松城に退却出来たが、
後に父を三河に葬ったあとに出家したと言われている。

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝  本多忠真