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2023/12/05

田能の里芋

12月5日
火曜日

田能の里芋

尼崎市北部
猪名川と茂川に囲まれた田能地区は
肥沃な土地で
田能遺跡が見つかった事からも
古代から農作物が盛んであったようです。

江戸時代から
里芋の栽培が盛んであったようで
田能の里芋は尼崎の伝統野菜なのだそうです。

現在は宅地化が進み
農作地が激減している事から
田能の里芋も生産者がほとんどおられないようだ。

地域おこしの為に
里芋を使った
コロッケやおでん等をPRしているようです。

田能地区に10年も住んでいたけど
里芋が名産だったとは知らなかった!

田能地区で育った
私の娘や息子は
それを知っていたのかな!?

田能の里芋

2023/12/04

後白河法王

12月4日
月曜日

後白河法王

うちから
徒歩5分ぐらいのところに
後白河法王が平清盛に幽閉された
薬仙寺と言うお寺があります。

1185年12月4日
(文治元年11月11日)

後白河法皇が
源頼朝に源義経追討の院宣を下す。

後白河天皇(ごしらかわてんのう)

1127年10月18日(大治2年9月11日)
~ 1192年4月26日(建久3年3月13日)

平安時代末期の第77代天皇。

諱は雅仁(まさひと)。

鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、
異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、
譲位後は34年に亘り院政を行った。

その治世は
保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、
幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるが
そのたびに復権を果たした。

政治的には定見がなく
その時々の情勢に翻弄された印象が強いが、
新興の鎌倉幕府とは
多くの軋轢を抱えながらも協調して、
その後の公武関係の枠組みを構築する。

南都北嶺といった
寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、
仏教を厚く信奉して
晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。

和歌は不得手だったが
今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど
文化的にも大きな足跡を残した。

後白河法王

2023/12/04

自転車屋の生き物歳時記 カブトムシの幼虫

12月4日
月曜日

自転車屋の生き物歳時記

カブトムシの幼虫

冬場なので
越冬している
幼虫シリーズになります。

7月〜9月にかけて
腐り切った朽木や腐葉土や堆肥に
産み落とされた
2〜3mmのカブトムシの卵は

2週間ぐらいで
7〜8mmの1令幼虫となり
大量の腐葉土や堆肥を食べて
短期間でどんどん成長し

越冬を控えた晩秋までには
10cmまでの3令幼虫に成長する。

4月下旬〜6月にかけて
土中に蛹室を作り蛹になる。

6月〜8月にかけて
成虫になり地上に出て来る。

カブトムシの幼虫は
腐り切って土化した植物繊維しか
食さないので害虫では無い。

自転車屋の生き物歳時記  カブトムシの幼虫