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2023/12/08

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝 江(崇源院)

12月8日
金曜日

「どうする家康」
徳川家康家臣団列伝

江(崇源院)
(徳川秀忠の正室)
(マイコ)

崇源院(すうげんいん/そうげんいん)は、
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。

近江の戦国大名浅井長政の三女で、
母は織田信秀の娘であるお市の方(織田信長の妹)。

崇源院は院号であり、
一般には江(ごう)か小督 (おごう)の名で知られるが、諱は達子(みちこ)で、追贈された贈位は従一位。

長姉の淀殿(茶々)、次姉の常高院(初)とで、
いわゆる浅井三姉妹の一人で、
初め佐治一成と婚約したが、
秀吉により離縁させられて、
その甥で養子の豊臣秀勝と再婚し、
娘完子(さだこ)をもうけたが、秀勝が急逝。

江戸幕府の2代将軍となる
徳川秀忠と3度目の結婚をして、
3代将軍家光を含む2男5女をもうけた。

猶女に鷹司孝子がいる。

文禄4年(1595年)9月17日
伏見において徳川家康の嗣子である秀忠に再嫁する。

秀忠は
天正18年(1590年)に上洛し、
織田信雄の娘で秀吉の養女である
小姫と縁組をしていたが、
小姫の死去により婚礼には至らなかった。

秀忠との間には
慶長2年(1597年)の千姫を頭に
家光・忠長、和子など2男5女を儲けた。

慶長5年(1600年)
豊臣秀頼が摠見寺の堂宇を増築し、
織田信長廟を安土城天主跡に造営しているが、
その後、
江が西尾隠岐守義次に造営を命じている。

大坂の陣では
豊臣家が滅亡して姉の淀殿を失う。

元和2年5月7日
養源院で淀殿・秀頼の菩提を弔う。

淀殿が
父・浅井長政の供養のために建立したこの養源院が、
元和5年(1619年)に火災で焼失すると、
江の願いで
元和7年(1621年)に幕府が再建している。

寛永3年(1626年)9月15日
江戸城西の丸で死去、
享年54。

法名は「崇源院殿昌譽和興仁淸大禪定尼」。

この時、
秀忠・家光・忠長は上洛中であった。

11月28日
従一位を追贈される。

死後は
長男・家光によって
増上寺(東京都港区)に埋葬された。

京都市左京区黒谷町の
金戒光明寺には宝篋印塔があり、
碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽仁淸」。

和歌山県高野町の金剛峰寺には、
五輪塔があり、
碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼」。

また同寺院には
六角宝塔内卵塔もあり、
碑銘には「崇源院殿源夫人昌譽大姉」とある。

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝  江(崇源院)

2023/12/08

針供養

12月8日
金曜日

針供養

針仕事の上達を祈願するため、
折れた針や曲がった針を豆腐等に刺し、
神社に奉納する
(2月8日に行う地方もある)。

針供養

2023/12/07

浜山街づくり協議会 懇親会

12月7日
木曜日

浜山街づくり協議会
懇親会

私は今年の春に
協議会委員になったので
知りませんでしたが

コロナ禍の為
4年ぶりの懇親会だそうです。

宴会の余興として
桂三之助の落語と
三味線の演奏がありました。

今年は
和田宮会館をお借りして
協議会委員で準備をしたので
たいへんでした。

浜山街づくり協議会  懇親会