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2023/06/03

週末立ち飲み 大野酒店

6月2日
金曜日

週末立ち飲み

大野酒店

スーパードライ小瓶
角ハイボール4杯

玉子豆腐
シーチキン
タコちくわ

週末立ち飲み  大野酒店

2023/06/02

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝 山田八蔵

6月2日
金曜日

「どうする家康」
徳川家康家臣団列伝

山田八蔵
(光本学仁)

八蔵は尾張源氏の山田氏の末裔で、
永禄6年(1563)に起きた三河一向一揆では
一揆側として戦いました。

一揆鎮圧後は、
松平信康の重臣・鳥居久兵衛の家臣として
岡崎城に移りました。

ちなみに、
尾張源氏は源経基の第二子・満政を祖とし、
満政の六代孫にあたる源重遠が
平安時代後期に尾張国春日井郡浦野
(愛知県名古屋市北部)に住み着いたことが
始まりの一族です。

山田氏・葦敷氏・高田氏・小河氏などの分家を輩出し、
山田氏の著名な人物には、
「戦いに優れ、器量良し。
尚且つ民のことを労われる心優しい性格を持った人物」と称賛された山田重忠がいます。

天正3年(1575)、
同輩の小谷甚左衛門の誘いを受け、
大岡弥四郎たちの武田家内通計画に八蔵も加わります。

しかし、
八蔵は思いとどまり、計画の内容を信康に報告。

これにより、
弥四郎たちの計画を未然に食い止めました。

当初、
信康は計画のことを真に受けなかったといいます。

そこで、
八蔵は信康の家来に間者として
弥四郎たちに取り入ることを提案。

弥四郎たちが密談をしたことを間者が報告したことで、
ついに弥四郎たちの計画が露見しました。

また、
計画が発覚した経緯には他説あり、
弥四郎たちの計画を事前に知っていた家康が、
信濃国に出入りする塩商人に
事情や動向を探らせたというのもあります。

八蔵は弥四郎たちの計画を防いだ功績により、
碧海郡(へきかいぐん)柿崎に500石の加増を受けました。

ほどなくして、
同郡大浜や額田郡上地も加増も受け、
順調に所領を増やしていきました。

そんな日々を送っていた矢先の天正16年(1588)、
八蔵は口論相手によって
殺害される悲運な最期を迎えます。

八蔵の死によって所領は全て没収され、
山田家は断絶してしまいました。

その後、
天正17年(1589)に養子の重次が口論相手を斬り倒し、
八蔵の仇討ちを達成します。

翌年には300石を与えられ、山田家を再興しました。

最後に
岡崎城の事件で活躍した八蔵の最後は、
非運としか言いようのない最後と知って残念に感じます。

また、
岡崎城の事件は八蔵の報告で発覚したものとあって、
八蔵以外に思いとどまる者が
いなかったことがわかります。

「どうする家康」徳川家康家臣団列伝  山田八蔵

2023/06/01

連続テレビ小説「らんまん」登場植物シリーズ ヒルムシロ

6月1日
木曜日

連続テレビ小説「らんまん」
登場植物シリーズ

ヒルムシロ

ヒルムシロ(Potamogeton distinctus)は、
単子葉類ヒルムシロ科ヒルムシロ属に分類される、
浮葉性の水草である。

また、
ヒルムシロ属の種のうち、
浮葉を展開するものの総称でもある。

楕円形の葉を水面に浮かせる。

穏やかな流水条件化で生育することもあり、
細長い浮き葉の形はそれへの適応かとも見えるが、
池などの止水にもよく出現する。

地下茎は泥の中にあって横に這い、水中に茎を伸ばす。

茎には節があり、節ごとに葉をつける。

葉は互生するが、
花序のつく部分では対生することもある。

水中では水中葉を出す。

水中葉は細長く、薄くて波打っている。

次第に茎が水面に近づくと浮き葉を出し始める。

浮き葉は細長い柄を持ち、
葉身は楕円形で長さ5-10cm、幅が2-4cm位、
先はややとがる。

表側はつやがあって水をはじくが、ハスほどではない。

葉はやや赤みを帯び、
表側は黒っぽく、裏側は赤っぽく見える。

花は夏以降に出る。

葉腋からやや長い柄が出て、先端に棒状の花穂がつく。

開花時には穂は水面から出て直立するが、
花が終わると横向きになって水中に入る。

秋になると茎の先は膨らんで芋状になり、
越冬芽を形成する。

池や用水路で普通にみられるが、
水田周辺からはほとんど消失した。

日本では北海道から琉球列島まで、
国外では朝鮮半島から中国、ミャンマーにまで分布する。

名前の由来は蛭筵で、
浮葉を蛭が休息するための筵に例えて
名付けられたとされる。

連続テレビ小説「らんまん」登場植物シリーズ  ヒルムシロ