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2023/06/18

兵庫消防団第六分団 6月の定期訓練

6月18日
日曜日

兵庫消防団第六分団

6月の定期訓練

和田岬小学校にて

チェーンソーによる
人命救助に使用する
クリブ・ウェッジを作成する為の
切断訓練

のちに
バレットと土嚢の下敷きになった
人形を傷病者に見立てた人命救助訓練

今日は曇っていたので
まだマシだったとは言え
6月にしてはかなりむし暑かった。

兵庫消防団第六分団  6月の定期訓練

2023/06/17

シニアカー展示

6月17日
土曜日

シニアカー展示

今日で4回目ぐらいの展示です。

業者さんと話し合って隔週の土日ぐらい
展示して見ますかとの事になりました。

一人二人と
パンフレットを取ってくれる人は出てきました。

すぐには
契約には結び付かないだろうけど
継続は力なりですね。

シニアカー展示

2023/06/17

永禄の変

6月17日
土曜日

永禄の変

1656年6月17日
(永禄8年5月19日)

三好三人衆らが
室町幕府13代将軍
足利義輝を襲撃し殺害。

三好三人衆(みよしさんにんしゅう)は、
戦国時代に三好長慶の死後に
三好政権を支えて畿内で活動した
三好長逸・三好宗渭・岩成友通の3人を指す。

いずれも
三好氏の一族・重臣であり、
『言継卿記』や『多聞院日記』などの
同時代の記録でも「三人衆」と表記されている。

永禄の変(えいろくのへん)は、
室町幕府13代将軍足利義輝が、
三好義継、三好三人衆
(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)、
松永久通らの軍勢によって
京都二条御所に襲撃され、殺害された事件である。

永禄の政変と呼称されることもある。

なお、
松永久秀をこの事件の主導者の一人とする記述が
従来多く見られるが、

実際に事件に参加していたのは
息子の久通であり、
当日
久秀は大和国にいて直接関与はしていない。

永禄の変