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2024/02/23

ドラマ大奥 主要登場人物 田安宗武

2月23日
金曜日
天皇誕生日

ドラマ大奥
主要登場人物

田安宗武
(徳川宗武)
(第8代将軍吉宗の三男)
(陣内孝則)

徳川 宗武(とくがわ むねたけ)
江戸時代中期の武士、歌人、国学者。

江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の三男。

松平定信の実父に当たる。

御三卿の一つである田安家初代当主であり、
田安 宗武(たやす むねたけ)とも呼ばれる。

官位は従三位権中納言。

徳川吉宗の和歌山藩主在任時に生まれ、
母は竹本正長の娘・於古牟(本徳院)。

幼少より聡明で、
荷田在満や賀茂真淵に国学・歌学・万葉を学ぶ。

異母兄・家重に代わり
宗武を将軍後継者に推す者もあり、
父・吉宗も一時は後継者にと考えたが、
第3代将軍家光・駿河大納言忠長以来の
長幼の序を重視し、家重を後継者とした。

また、
家重の嫡男・家治が聡明であったので、
家治の将来に期待して
家重を後継者にしたとも言われている。

将軍後継者問題はその後も尾を曳き、
家重が将軍となった後、
3年間登城停止処分を受ける。

弟の宗尹も同罪とみなされ不興を被った。

次期将軍に宗武を推した
老中・松平乗邑も突如罷免された。

その後、
第7代将軍家継の生母・月光院の斡旋により
登城を赦され、表向きは和解したものの、
以後、宗武は生涯にわたり
家重と対面することはなかった。

また、
宗武自身も将軍就任を望んでいたため、
家重の欠点を列挙して諌奏した。

そのため
かえって大御所となっていた父の吉宗に咎められ、
延享4年(1747年)から
3年間も謹慎の沙汰を受けた。

また吉宗は、
自分に反抗した徳川宗春に代えて
宗武に尾張藩を継がせる所存であったが、
尾張藩の抵抗により断念したと伝えられる。

明和8年(1771年)6月4日に死去。

享年57 (満55歳没)。

田安徳川家は五男の治察が継いだ。

ドラマ大奥 主要登場人物  田安宗武

2024/02/22

ドラマ大奥 主要登場人物 徳川家重

2月22日
木曜日

ドラマ大奥
主要登場人物

徳川家重
(江戸幕府第9代将軍)
(高橋克典)

徳川 家重(とくがわ いえしげ)
江戸時代中期の江戸幕府の第9代将軍
(在任:1745年 - 1760年)である。

正徳元年12月21日(1712年1月28日)
和歌山藩主(後に征夷大将軍)
徳川吉宗の長男として江戸赤坂の和歌山藩邸で生まれる。

母は家臣・大久保忠直の娘・須磨子(深徳院)。

幼名は長福丸。

吉宗が
将軍に就任すると同時に江戸城に入り、
享保10年(1725年)に元服、
それまでの将軍家の慣例に倣い、
通字の「家」の字を取って家重と名乗る。

生来虚弱の上、
障害により言語が不明瞭であったため、
幼少から大奥に籠りがちで
酒色にふけって健康を害した。

享保16年12月(1731年)
一品邦永親王の王女比宮(増子)と結婚した。

発話の難に加え、
猿楽(能)を好んで文武を怠ったため、
文武に長けた異母弟宗武(田安徳川家の祖)と比べて
将軍の継嗣として不適格と見られることも多く、
吉宗や幕閣を散々悩ませたとされる。

このため、
一時は老中首座松平乗邑によって
廃嫡および宗武の擁立をされかかったことがある。

吉宗は家重を選び、
延享2年(1745年)に吉宗は隠居して大御所となり、
家重は将軍職を譲られて第9代将軍に就任した。

しかし
宝暦元年(1751年)に死去するまでは
吉宗が大御所として実権を握り続けた。

病身の家重の将軍職継承については、
才能云々で次男などに家督を渡すことが
相続における長幼の順を乱すことになり、
この規律を守らないと
兄弟や徳川御三家などの親族
さらに派閥家臣らによる後継者争いが権力の乱れを産む、と吉宗が考えたから、とされている。

吉宗自身が
徳川本家外から来た人間であり、
将軍としての血統の正統性が確実ではなかったため、
才覚云々ではなく
「現将軍の最長子が相続者」というルールを
自らが示し守らねばならなかったこと、
吉宗自身が
将軍後継争いの当事者であったことが背景にある。

またこれとは別に、
家重の長男家治が父とは逆に非常に聡明であったこと、
つまり次世代に期待ができると
判断されたことも背景にあったと言われている。

家重は
吉宗存命中に松平乗邑を老中首座から次席とし、
さらに罷免し、さらに減封(加増分没収)、
さらに隠居、さらに跡を継いだ乗祐に対し
下総佐倉から出羽山形に転封を命じた。

弟の宗武には謹慎を命じ、
3年後に謹慎を解いた後も生涯謁見を許さなかった。

家重の時代は
吉宗の推進した享保の改革の遺産があり、
綱吉が創設した勘定吟味役を充実させ、
現在の会計検査院に近い制度の確立、
幕府各部局の予算制度導入、
宝暦の勝手造り令で酒造統制の規制緩和など、
幾つかの独自の経済政策を行った。

しかし負の遺産も背負うこととなり、
享保の改革による増税策により一揆が続発し
(直接には宝暦5年(1755年)の
凶作がきっかけであるが、
本質的には増税が原因である)、
社会不安が増していった。

郡上一揆では、
家重は真相の徹底究明を指示し、
田沼意次が評定所の吟味に参加し、
老中本多正珍、西丸若年寄本多忠央、
大目付曲淵英元、勘定奉行大橋親義らが処罰され、
郡上藩と相良藩2藩が改易となった。

百姓一揆で
幕府上層部にまで処罰が及んだ例は
郡上一揆が唯一である。

また
薩摩藩に対して木曽三川の工事を命じ、
膨大な財政負担を薩摩藩に負わせた(宝暦治水事件)。

京都で
宝暦事件が起きたのも、
家重が将軍職にあった時期である。

また
次男重好に江戸城清水門内で屋敷を与えて徳川姓を許し、御三卿体制を整えた。

ただ、
健康を害した後の家重は
ますます言語不明瞭が進み、
側近の大岡忠光のみが聞き分けることができたため
彼を重用し、側用人制度を復活させた。

田沼意次が
大名に取り立てられたのも家重の時代である。

重用された大岡忠光は、
権勢に奢って失政暴政を行うことはなかったと言われる。

宝暦10年4月26日
(1760年6月9日)に忠光が死ぬと、
家重は5月13日(6月25日)に
長男家治に将軍職を譲って大御所と称した。

宝暦11年(1761年)6月12日、
田沼意次の重用を家治に遺言し、
死去した。

享年51(満49歳没)であった。

ドラマ大奥 主要登場人物  徳川家重

2024/02/22

乃木坂46の日

2月22日
木曜日

乃木坂46の日

乃木坂46のデビューシングル
「ぐるぐるカーテン」の発売日である

2012年(平成24年)2月22日を由来とする。

所属事務所である
乃木坂46合同会社が制定。

オッサンですが
実は
乃木坂46が大好きです。

他に

忍者の日
食器洗い乾燥機の日
なまずの日
おでんの日
猫の日
猫背改善の日
駅すぱぁとの日
行政書士の日
温泉マークの日
太子会の日

記念日が多数ありますね。

乃木坂46の日